そこらへんの大学生のブログ

iOS開発やったり、海外に住んだり、大学生やったりしてます。

人間のどんな環境にも「慣れる力」は凄まじい

「住めば都」は往々にして正しい

僕がオーストラリアに入国して最初に1週間ほど泊まることになっていたバックパッカー宿の部屋を見た瞬間、僕は猛烈に日本に帰りたくなった。

4人部屋の部屋で床は既に泊まっている人の荷物でめちゃくちゃになっており、トイレは汚くその横にカーテンだけで仕切られたプールで見かけるようなシャワーが取付けられている。

そんな部屋でこれから1週間過ごさなければならないことを考えると、憂鬱でしょうがなかった。

そもそも初めてバックパッカー宿に泊まったのはハリウッド旅行に行った時で、割と綺麗好きで自分独りの空間と時間がないと辛い僕にはたった1泊だったがめちゃくちゃ辛かった。

ハリウッドに旅行で来て、あんなに苦しんでいたのは僕くらいだと思う。
あれで完全にバックパッカー宿がトラウマになってしまった。

そして、またあの時と同じような宿に泊まることになっている。
1泊目はトラウマのせいもあって、ハリウッドの時より辛かった。

2泊目もちゃんと辛かった。

しかし、不思議と3日目若干辛くなかった。

そして、4日目スーパーに食事の買い出しに出かけた。買い物が終わってスーパーのベンチに座ってしばらくボーっとスマホをいじった後、「さて、家に帰るか。」と心の中でつぶやいた。

その瞬間、自分があそこを自分の家だと認識し始めていることに驚いた。

そして、5日目6日目ふつーにくつろいでいた。最後の日は忘れないように写真を撮って帰った。


そして、その後すぐに僕はファーム仕事を始めることになる。

そのバックパッカー宿を出発してファームのある更に田舎へ電車に乗って向かう。

駅に到着して案内役のオージーに家に連れていってもらうとそこにはバックパッカー宿以上に劣悪な家があった。

その家には1人のパプアニューギニア人のおばちゃんとオーストラリア人のおじいちゃんが住んでいた。この記事でもちょっと紹介した凄まじいバイタリティのおじいちゃんだ。

www.yashinka-engineer.blog

その家に着いた時の僕の部屋がこれだ。

f:id:Rwkabms:20190411001145j:plain
何もない部屋の壁にマットレスだけ立てかけられていた。

これから過酷な肉体労働の毎日だと言うのに、それが終わっても帰ってくるのがココなのかと絶望した。
なによりWi-Fiが飛んでいないことが、今まで寝るギリギリまでYouTubeを見る生活をしていた僕にとっては辛すぎる環境だった。

しかも、部屋の入り口の床にはガムテープで低い壁のようなものが作られておりこれは何かと聞くと、こうしておかないとゴキブリが死ぬほどこの部屋に入ってくるらしい。

最初の頃は洗濯機がなく(途中でボスが買ってくれた)仕事終わりにドロドロの服を手洗いしていた。

パプアニューギニア人のおばちゃんは「本当にあんたは大人か?」と思うくらいワガママで子供っぽい人で機嫌が悪いと家でブチギレまくり、酒を飲んでは絡んできた。

そして、1番辛かったのは途中から新たにベトナム人の夫婦が引っ越してきて僕と夫婦の3人があの狭い部屋で暮らしていた時期だ。
2段ベッドとかではなく、床にマットレスを敷いて寝ている。
2段ペッドなら縦の空間を使えるのであの部屋の狭さでも快適に過ごせたと思うが、床に3つマットレスを敷いていたのでぎゅうぎゅうだった。

何度も辞めて日本に帰ってやろうかと思った。
仕事も辛いし、帰っても辛いじゃないか。

ただ結論から言うと、やっぱり慣れた
やっぱ人間すごい。

最初は仕事も家もとにかく辛かったし、バックパッカー宿に比べれば時間はかかったが2週間くらいすれば仕事終わりは部屋でくつろぎまくっていた。
というか仕事中もあの家に早く帰りたいしか考えてなかった。

3ヶ月のファーム生活を終えてメルボルンに飛び立つ日は半泣きで部屋と家の写真を撮りまくった。

それからもメルボルンで6人でルームシェアしたりしたが、引っ越す前も不安はなかった。
だってあんな劣悪な環境でもくつろげた僕なんだから、6人であろうと7人であろうと都会の綺麗なマンションが問題になるはずがない。


あそこでもくつろげたんだから、どんな家でもくつろいでみせると自信を持って言えるほどの劣悪な環境で一時期を過ごすことができ、どんな環境にも最初は黙って耐えることで次第に慣れることを体感できた僕は幸せだったのかもしれない。


ただ一度、ファームの家に住んでいる時に米を炊こうとして、袋を開けると袋の入り口に特大のゴキブリが入っていた時はその米ごと殺虫剤をかけてゴミ箱にすてた後、さすがに帰りの航空券を探していた。
あそこで踏みとどまった自分を褒めたい。