オーストラリアワーホリにてファームで3ヶ月以上働いてセカンドを取得するまでの記録②
ついにファームへと旅立つ
いよいよ5日間滞在したゴールドコーストを去り、ファームがあるクイーンズランドへ出発する日が来ました。
クイーンズランドへは電車を乗り継いでいきました。チケットはエージェントの人が予約するのを手伝ってくれるので良かったのですが、移動自体は1人なのでそこそこ不安でした。たしか9時間くらいかかったと思います。
長旅の末に到着した駅ではこれから住む家まで送ってくれる迎えが待っているはずでしたが、全然見つけられません。。。
困ってウロウロしていると突然、電話がかかってきました。恐る恐る出てみると、全く聞き取れない英語でめちゃくちゃ喋っています。
かすかに黄色の服を着てる的なことが聞き取れたので必死に黄色い人を探すと1人の歯がほとんど抜けている白人の大男が電話を耳に当てて話していました。
服は明らかに仕事を終えてきた感じのドロドロで長靴を履いていました。
彼を見た瞬間に改めて、「おれはここで生き抜けるのか、、、」と不安になりました。
正直、日本で出会った誰とも違う明らかに野生の男って感じの人でしたから。
そのまま彼に言われるがまま車に載せられると、途中で1人のおじいちゃんが乗車してきます。彼こそ、前に記事でも紹介した鉄人爺ちゃんです。
そのまま近くの大きなスーパーに連れて行かれて、「明日から働くから早速必要な道具を買う」と言われてグローブやランチバッグ、シャツ、ズボン、大量の水、パン、ピーナッツバターなどを買いました。
そして、家に向かいます。家に到着したら、この記事にも書いたようにそれはそれはボロくて何もない家でした。
「これから3ヶ月、ここに住むのか、、、」と絶望したことを覚えています。何よりWi-Fiがないことが日本で快適なYouTube生活を送ってきた僕には耐えられませんでした。
Wi-Fiがとんでいないことはエージェントの方から、うっすら聞いていたので念のため街のWi-Fiで暇つぶし用の動画をダウンロードしまくっていたのですがさすがに3ヶ月はきつすぎます。
しかも、明日から早速仕事。明日は3時に起きて4時に出発、ファームに5時くらいに到着して仕事開始と言われて、もう憂鬱以外の何者でもなかったです。
初日は同居している鉄人じいちゃんと色々話した後、朝3時に起きなければならないので夜9時くらいに寝ました。
そして朝3時、目覚ましで何とか目覚めた僕はじいちゃんに言われるがまま、昼食(パンにピーナッツバターを塗って折りたたむ)を準備して、おじいちゃんと同居していた黒人のおばちゃんと一緒に昨日の大男が運転する車でファームに向かいます。
まだまだ外は真っ暗だったのですが、彼の運転が荒すぎてめちゃめちゃ怖かったのを覚えています。
そして1時間ほどの車移動のあとにファームに到着しました。思ってた数倍広くて、ほんとにどこが終わりか全くわからなかったです。
そんなファームに10台ほどの車が既に止められていて、たくさんの人が仕事着を着て、寒そうに待っています。
オーストラリアは南半球なので4月頃から寒くなり始めます。朝5時は特にめちゃくちゃ寒いです。
日本人も何人かいたので少し挨拶しました。
そんな中で大声で笑っているデカくてゴツいおじさんがいました。彼こそがこのファームのボスでした。
初対面の印象はめちゃめちゃ声がデカくてテンションの高いおじさんって感じでした。このトルコ人のボスが悪魔かと思えるほどキレまくるパワハラボスだと気づくのは少し後のお話。。。
ファームジョブ初日!
しばらくして、そこのファームで働いている人が全員到着すると仕事が始まりました。
バケットバーイの仕事は説明が難しいのですが、めちゃめちゃシンプルに言うとピッカーと呼ばれる人がもぎってバケツに入れたトマトをトラックに積み込む作業です。
トラックは止まることなく進んでいくので、遅れる訳にはいきません。全員ダッシュでバケツを運び続けます。
そして、お給料を計算する時のためにピッカーの人はバケツ何個収穫したかの指標としてタグと呼ばれる各自の番号が書かれているスティックをバケツに入れているのでそれを回収しながら運ぶ必要があります。
最初はじいちゃんに言われるがまま、意味も分からず見よう見まねでやりました。
バケットボーイ(以後バケボ)の給料は回収した全てのタグ(つまりピッカー全員がその日収穫したバケツ数)をバケボの人数で割った額になります。
なのでバケボが何個タグを取っても、全員の給料は同じです。
最初はそれも知らずに「おれのタグバッグぱんぱんだから、このタグもらってよ」と言われるたびに心から「Thank you so much!!」って言ってました。
相手は何でこんな感謝されるのか意味が分からなかったでしょう。
そんな感じで訳も分からないまま仕事は進み、初日は朝5から昼3時くらいまで働きました。最後にはほとんど腕が上がらなくなるくらい疲労困憊でした。
こんな感じで怒涛の1日目が終了です。
続きはまた後日。