そこらへんの大学生のブログ

iOS開発やったり、海外に住んだり、大学生やったりしてます。

真面目で悩みがちな人は海外に行くと少し楽になるよって話

世界には色んな人がいる

僕は大学時代、合計で2年間海外に住んでいた。

rwkabms.hatenablog.com

ここにも書いたが、当初は海外移住を本気で考えていた。そう考えるに至った理由の一つは僕は海外にいる適当な人達が好きだったんだと思う。

海外にはホントに色んな人達がいる。日本には(少なくとも自分の周りには)いなかったような人達がいっぱいいる。

面白くてめちゃくちゃで適当な人は日本にもいるが、そういう人は基本的にTwitter界隈に生息していることが多い。

ただ外国だとそういう人を街やコミュニティ内で見かけることが出来る。やはりそんな適当な人達の絶対数が多いんだろう。


例えばアメリカの大学に通っていた頃、近くにSubwayがあった。当時、絶望的なくらい野菜を食べておらず基本的にピザしか食べてなかった僕はそろそろ死ぬなと思ったので定期的にSubwayに通って、そこでサラダを食べるようになった。
(余談だが、Subwayではサンドイッチのサラダ版を頼める。野菜と具材だけでパンがない分、大量のサラダを作ってくれる。多分、日本でも出来ると思う。)

そこの店員さんが僕が好きな適当な人達の1人だ。かれは現地の大学生でSubwayでパートタイムで働いていた。

まず彼に限らずアメリカの店員さんは基本的にフレンドリーである。ばりばり世間話を挟んでくる。
結構僕はそういう部分も好きだったので、お客さんが少ない時は彼とそのままずっと無駄話を続けていたりしたので通っているうちに自然と仲良くなった。

彼は僕がサンドイッチとジュースを買うと、いつもサービスでクッキーもくれた。この時点で日本の接客ではあり得ないことだと思う。彼はただのバイトでもちろん金を払っているわけでもなく、タダで勝手に僕にクッキーを渡してくる。まあ、何も言わずに受け取り続けていた僕も悪いのだが。

更に彼は僕が席に座って食べていると接客をやめて、僕の椅子の前に座って世間話しにくる。お客さんが待っているとめんどくさそうに接客に戻って、終わるとまた喋りにくる。日本だと店長にぶん殴られそうな暴挙だが、店長も特に何も言わず見過ごしている。

こういう適当でもあり温かくもある空気感がたまらなく僕は好きなのだ。


そしてもう1人、僕の凝り固まった価値観をぶち壊してくれたのがオーストラリアで出会った1人のおじいちゃんだ。

僕はオーストラリアで3ヶ月ほど農場でトマトやズッキーニ、ピーマンなどの収穫作業をやっていた。正確には収穫作業をやるのは女性達で僕たちの仕事は彼女らが収穫した野菜で一杯になったバケツを持ち上げてトラクターに積み込む作業だ。

これは結構きつい作業で野菜でパンパンのバケツはそこそこ重く、それを休みなく持ち上げ続けるのはかなりの力作業。最も多い日で2500個バケツを持ち上げ続けた。

朝は毎日4時起きで長い時で夕方6時まで仕事をした。

そんな農場で一緒に働いていた人達の中に1人オーストラリア人のおじいちゃんがいた。彼は御年65歳の日本だったら定年を迎えるはずのオーストラリア人だ。しかし、彼はバリバリ肉体労働で働いていた。というか僕なんかよりよっぽど元気に大声を出しながら、楽しそうに働いていた。

実は僕は彼と同じ家(農場のボスが貸している家でそこの農場で働いている人達で共同生活していた)だったのだが、そんな仕事をしながら家で筋トレをしている。控えめに言って化け物だと思った。65歳でこんなアクティブでムキムキで子供みたいな腕白な人を見たことがなかった。

僕は65歳といったらもう定年してエネルギーは使い果たし、ただただ静かに余生を過ごすモードに切り替わる年齢だと思っていたが、誰よりも大声を出し時に冗談を言って周りを笑わせながら楽しそうに働いている彼に65歳の可能性を見た。

彼は僕たち若者を監督するスーパーバイザーになる提案を農場のボスから何度も受けていたのだが、そんな仕事をすると体が衰えると言って断り続けていた。

それを聞いた時、僕はONE PIECEのガープを思い出した。ガープが現場に出続けるために大将への昇進を断り続けたようにそのおじいちゃんもスーパバイザーの昇進を断り続け、現場でバケツを持ち上げ続けていた。

年齢はただの数字という言葉があるが、それをここまで体現している人は初めて見た。彼との出会いで得たモノは僕が歳を重ねるごとに貴重な教えとして挑戦を続ける気持ちを支えてくれるだろう。


そして、最後にオーストラリアに居た頃、シェアハウスで一緒に住んで居たルームメイト達だ。

彼らからは働くことに対する自由さを教えてもらった。彼らはワーホリでオーストラリアに来た人が多く、オーストラリアではウェイターなどをしたり建設現場で働いたりしていた。

僕を含め、日本の大学生の一般的な価値観では大学を卒業するとそのまま企業に就職し働き始めるのが正しい悪いとかではなく普通だと捉えられていると思う。

ただ彼らはオーストラリアに来る前から、色んな国を旅行しながら現地で働いていたり、オーストラリアの方が稼げるからここでお金を貯めて来年に自国でその金を元手にビジネスを始めようとしていたり、単純に楽しいからオーストラリアで適当に働きながら悠々自適に暮らしていたりとみんな違っていた。

ただ1つ共通していたのはみんなとても自由にみえた

あまりにも自由だったために酒を飲みすぎて、みんなが寝ている共用の部屋で吐き散らかしたりする奴もいた。翌日、帰ってきたフランス人のルームメイトにガチギレされていた。吐いた彼が自由すぎたのか、怒っている彼があまり自由でなかったのか。


日本人はとても真面目だと思う。かなり先の将来を見据えて、今やらなければならないこと準備しておくべきことをやっておく。悪く言えば、将来のために今を犠牲にしている。どちらが良いかは分からない、もしかしたら日本人の生き方のほうが効率的なのかも知れない。

ただ彼らはそんな日本人とは逆で、今を楽しんでいたりすぐ先の未来に向かって行動していたような気がする。少なくとも老後のために動いている人はいなかったと思う。そういう生き方も良いなと素直に感じた。

僕は日本で生きてきて、将来のため老後のために頑張る人たちは何人も見てきた。そして、オーストラリアでその反対側にいる人たちにも出会うことが出来た。
どちらが正しいかどうかなんて決められないが、その両方を知ることが出来たことは僕の財産になったと思う。


日本にも外国人が増え、オンライン英会話などのサービスも整っている今、それでも海外留学や海外に一定期間住むことの意義は語学以上に大切なモノを学ぶことが出来ることだろう。

異文化交流の素晴らしさは実際にやってみないと分からない。世界には色んな人がいるということを頭では分かっていても、実際にそんな人と出会ったりそんな人たちに囲まれながら生活することはただ知っていることよりも数倍の価値がある。


真面目なことは素晴らしいことだがあまりにも凝り固まっていたり悩んでいるようなら、そんなあなたと反対側にいる適当な人達に会いに海外でも行ってみたら?と悩んでいた昔の僕に伝えたい。