そこらへんの大学生のブログ

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本気で努力せずに結果も残せなかったことは後々かなり自分を苦しめる

世界一テニスを舐めていた

僕は高校時代、テニス部に所属していた。

テニスを始めたのは高校からで完全に初心者からのスタートだった。

それでもわざわざテニス部を選んだ理由は当時の僕にとって一番『部活感』があったからだ。

高校生までに色々なスポーツをやったが、それはどれも体育会系のものばかりで練習は厳しく、辛いもので部活というより修行に近かった。
そんな僕にとってテニス部というのは華やかな学生生活をエンジョイするための最善の選択に思えた。

そして晴れてテニス部に入部し、高校生活がスタートするのだがそんな僕には大きな問題が1つあった。

僕はテニスを完全に舐めて切っていた。

今でこそ錦織選手の活躍やフェデラー、ナダルなど世界のスーパープレイヤーを観てカッコよすぎて震えている僕だが、当時は完全にサークル感覚で入ったこともあって「チャラくて、なよなよしたスポーツ」だと思っていた。

それどころか、そんなチャラくなってしまった自分が恥ずかしいとまで思っていた。実際にはチャラいどころか、ド下手でめちゃダサかったのだが。

だから部活終わりの家までの帰り道は、ラケットを背負って自転車を漕いでいる自分が中学校や小学校の同級生に見られるのではないかとずっと怯えていた。
「お前、テニスなんか始めたのかよ〜」とか弄られるんじゃないかと恥ずかしかったのだ。

そんなことを考えているくらいなのだから、もちろん練習も全く真面目にやらない。

テニス部に自分で入っておきながら、「いや俺はテニスそんな好きじゃないから。」みたいな意味不明な言い訳を言いながら、斜に構えまくっていた。
当時の自分のウザさ、キモチワルさは他の追随を全く許さなかった。

試合でも内心めちゃ勝ちたいくせに「テニスに本気になるのはダサい」というバカみたいな信念から、際どいボールが来ても全く走らずにボールも追いかけなかった。

三年間最後まで斜に構え続けた僕は当然上達することもなく、何の成績も残せずに引退した。

あの頃に戻って、本気で打ち込みたい、、、

そして今、高校テニス部時代に対してあるのは『あの頃本気で努力していれば、自分はどのくらいまでいけたんだろう。』という後悔と疑問が入り混じった感情だ。

それまでの自分の中には「最初から上手く出来ることは少ないが、努力すればどんなことだって出来るようになった」という自信が常に存在していた。
自分は頑張れば、どんなことでも出来る人間だという根拠の無い自信があった。

しかし、高校以降は何か新しいことに挑戦するたびにこの頃のことを思い出してしまう。
自分の中で上手くいかなかった経験として高校テニス部の記憶がたしかに存在し続けている。

仮に僕がテニスに死ぬほど打ち込んでインターハイに出場していたとして、大きく今と何かが変わるかと言われれば何も変わらないだろう。

ただ本気で努力しなかったばかりになんの結果も残せず、諦めてしまった経験はそれからずっと自分の内面を澱ませ続ける。
根拠の無い自信はプラスの根拠が無かったとしても、マイナスの根拠も無いから強いのだ。自分は過去に上手くいかなかったことがあるというマイナスの根拠が1つでも自分の中にあると根拠の無い自信を持ち続けるのは難しい。

だからこそ、それから僕は「少なくとも自分が納得する結果を残すまでは続ける」ということを心に決めて頑張ってきた。
おかげで少しずつ少しずつ根拠の無い自信を取り戻していった。

そして、これからもそうする。
このブログも、スモールビジネスもエンジニアとしてもそうだ。何らかの結果に結びつくまでは自分からは辞めない。

自分で納得せずに辞めてしまうと、その後それによって苦しみ続けるのは自分自身だ。

ただ1つ振り返って思うのは、3年になってもスピンサーブの打ち方が理解できなかった僕にはリアルに才能が無かっただけなのかもしれない。
まあ、それは本気で頑張っていれば出来たということにしておいてください。。。